後藤健生の「蹴球放浪記」第217回「イタリアーノ、ツウジネーゼ」の巻(1)W杯中ナポリでタクシーに乗ったらイタリア語が通じない!の画像
1990年ワールドカップ、ナポリでの準決勝はナポリ所属のマラドーナがイタリア代表相手に勝利。提供/後藤健生

 蹴球放浪家・後藤健生は貪欲だ。海外取材に行けば、その地の食を積極的に楽しむ。よりよいものを求めるために有効なのが、現地の言葉を学ぶこと。ワールドカップ前の有益なエネルギーの使い方だ。

■ドイツ語を「3年間」も勉強して初のW杯へ

 若いときは今よりももっとエネルギーがありましたから、ワールドカップに行く前にはその国の言葉を勉強して行ったこともありました。

 1974年に初めてワールドカップを見に行ったのは西ドイツ(当時)大会でした。

 当時の大学では第2外国語としてドイツ語かフランス語を勉強するのが普通でした(「第1」は英語)。で、僕は普通だと2年間で終わりなのに3年間もドイツ語を勉強していました(2年生のときに不合格になったからです)。

 ですから、それで何とか乗り切れました。

 1978年にアルゼンチンに行ったときはまったくスペイン語を勉強していなかったので、「ウノ(1)、ドス(2)、トレス(3)……」とディエス(10)まで数えられないような状態で南米大陸を旅して、大変に苦労しました。

 で、現地で単語や簡単な文章は覚えて帰ってきました。

 次の1982年大会はスペイン開催でした。「それなら、せっかく覚えてきたカタコトのスペイン語を忘れてはもったいない」というので、渋谷にあったスペイン語学校に入学。2年半くらい通いました。

 そして、ワールドカップ期間中に、現地で実際に使ったので実用レベルにはなっていました(交通機関やホテルなどの予約が大混乱しており、現地でいろいろ交渉をしなければならなかったのでトレーニングにはうってつけでした)。

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