■思い出される1993年の「ドーハの悲劇」
今から30年余り前の1993年秋に、ドーハの地では集中開催方式のアメリカ・ワールドカップ・アジア最終予選が行われた。
6チームの総当たりで、2位までにワールドカップ出場権が与えられるレギュレーションだった。そして、ハンス・オフト監督率いる日本代表は4試合を終えた時点で首位に立って最終戦に臨んだ。イラクに勝利しさえすれば、無条件にワールドカップ出場権が手に入る。
そして、日本は1対0でリードして前半を終えた。すると、初めてのワールドカップ出場を目の前にして、選手たちは冷静さを失っており、ハーフタイムの控室は選手の怒号が響き、オフト監督の言葉が聞こえないような状態だったという。
そして、後半に1点ずつを取り合って、日本が2対1でリードした状態で試合が終盤に差し掛かった。だが、日本の選手たちは冷静に試合をコントロールすることができず、アディショナルタイムにイラクに同点ゴールを許してワールドカップへの切符を失った。
現在の23歳以下の若い選手たちがただただ冷静沈着に、プロフェッショナルに戦って結果を手繰り寄せた姿を見ていて、僕は30年前のドーハを思い出していた。
この30年間の日本のサッカーのさまざまな経験と努力が、今の若い選手たちの精神的なたくましさにつながったのだろう。