後藤健生の「蹴球放浪記」第211回【夢の「ハワイ旅行」帰りに国立競技場で見た「夢」】の巻(1)3度目のチケットは「一発勝負」クイズ番組での画像
当時のパスポート。右下に「3月26日HANEDA」の入国スタンプがある。提供/後藤健生

 時間がずいぶんと昔に巻き戻されたようだ。多くの人が記憶にないような円安へと為替相場が進んでいる。そんな時代にも、蹴球放浪家・後藤健生は海を渡っていた。ハワイから、国立競技場へ。そんな夢のような旅行をしたのは、1978年のことだった。

■庶民にとって「高嶺の花」だった海外旅行

 昭和の時代に「夢のハワイ旅行」という言葉がありました。まだ、庶民にとっては海外旅行など、手が届かない時代のことです。

 第2次世界大戦で日本が敗れて連合国軍に占領されていた時代には、特別な人にしか海外渡航は許されませんでした。日本が独立して、富裕層向けのパッケージツアーという商品が世に出るようになってからも、庶民にとって海外旅行は“高嶺の花”でした。

 しかし、1980年代に入ると、ワイドボディの大型旅客機が登場して航空券代が安くなり、さらに円高が進むと、日本人にとって海外のホテルや土産物は格安となっていきます。

 日本円と米ドルの為替レートは1949年以来、1ドル=360円に固定されていました。しかし、1971年8月にアメリカのリチャード・ニクソン大統領が新しい経済政策を発表。現在と同じ変動相場制に移行します。そして、その後は1ドル=300円程度で推移していたのですが、1977年頃から円高が進み、1978年には200円前後まで円高が進行しました(2011年には1ドル=75円台にまで達したことがあります)。

 航空料金の低下と円高によって、かつては「夢」だったハワイ旅行もすっかり定着。ハワイは「芸能人」でなくても気軽に訪れることができる場所になり、熱海のちょっと先の観光地といった感覚になっていきました。

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