■広州へ「国境を越える」のが目的の日帰り観光
その「南越」があったのが、現在の広東省です。
省都の広州は、当時からその南越の中心都市で、その後もアラブ系の人たちも数多く住む国際都市となり、東南アジアやインド洋地域との貿易で栄えていました。19世紀の英国が香港を植民地化したのも、広州を通じて中国と貿易をするためでした。
そんな広州にも、僕は何度か行ったことがあります。
1980年の暮れにスペイン・ワールドカップ予選のために香港に10日間くらい滞在したときには、陸路国境を渡って深センに行ったことがあります。今では中国を代表する大都市になっていますが、当時はただの農村でした。当時は中国に入国することが難しい時代だったので、「国境を越える」のが目的の日帰り観光でした(「蹴球放浪記」第95回「香港から陸路国境を越えて中国入り」の巻)。
その後、中国が外国人にも開放されるようになり、1987年にソウル五輪予選で日本代表が広州で中国代表と対戦したときには、行きは香港から船に乗って珠江を遡って広州に入り、帰りは列車で香港に戻りました。
最近では2017年3月に川崎フロンターレがACLで広州恒大と対戦したときに広州入り。このときは、香港国際空港から広州行きのバスに乗って広州に向かいました。空港からミニバスで国境に向かい、入国審査が終わって中国側に入ると、そこがバスターミナルのようになっていて、行き先別の大型バスに乗り換えます。