■王者に求めたかったもの

 滋賀県勢の全国選手権優勝は18大会前の野洲高校まで遡る。

 当時の野洲は個人技を生かしたサッカーを展開して「セクシー・フットボール」と謳われたものだったが、今回の近江も“セクシーさ”ではけっして見劣りしていなかったかもしれない。

 なにしろ、相手の運動量やプレッシングの激しさは18年前とは格段に上がっていたのだから、準優勝に終わったといても価値は大きかった。

 第102回大会で記録に残るのは、当然、優勝してプレミアリーグとの「2冠」を達成した青森山田なのだろうが、近江の健闘も記憶として後世に残すべきものだ。

 青森山田はとにかく、勝負に徹して戦った。

 強豪校として、「優勝を義務付けられた」立場だったのだから、大変なプレッシャーがあっただろう。

 全国大会で3度の優勝を置き土産に退任した黒田剛監督(現FC町田ゼルビア監督)の後継者である正木昌宣監督としては「結果を出すしかない」状況だったはずだ。また、青森山田という学校にとっても、全国大会優勝は至上命令だったのだろう。

 青森山田がそうしたプレッシャーの下で戦っていたということは重々承知の上で言うのだが、あれだけの好選手を集めたチームだったのなら、もっとチャレンジングで攻撃的な戦い方を見せてほしかった。

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