■目指すは中村俊輔という絶対的エース
だからこそ、2度目のアジアカップは自分自身の存在価値を再認識させなければならない。右サイドのみならず、センターのポジションでFWやトップ下の位置を自由自在に動きながら伊東や三笘薫(ブライトン)と攻撃を組み立て、フィニッッシャーとしても輝けば、その形が今後のベースになっていくかもしれない。鎌田大地(ラツィオ)不在の今回は堂安にとってはチャンスなのだ。
そのうえで、代表エースナンバー10としてのインパクトを残したいところ。日本がアジア王者に輝いた92年広島、2000年レバノン、2004年中国、2011年カタールの過去4回には、ラモス瑠偉、名波浩(日本代表コーチ)、中村俊輔(横浜FCコーチ)、香川真司(C大阪)という偉大な10番がいて、名波と中村俊輔は大会MVPに輝いている。
その歴代10番の中で堂安が参考にしたいのは、中村俊輔だろう。中村俊輔も2000年にアジアカップ初参戦を果たし、2004年が2度目だった。最初はトップ下に森島寛晃(C大阪社長)を布陣がベストチョイスということで、中村俊輔は左サイドで起用された。しかも左ボランチにいた名波にポジション入れ替えを促され、時にインサイドでプレーしながら攻撃のアクセントを加える役目だった。
それが2004年になると、フィールドプレーヤー唯一の欧州組としてトップ下の絶対的エースに君臨。大苦戦を強いられた初戦・オマーン戦のテクニカルの決勝弾に始まり、タイ戦でもゴール。その後の決勝トーナメントはヨルダン、バーレーン、中国と死闘続きだったが、中村俊輔の高度なテクニックとイマジネーションで攻撃陣を統率し、チームを連覇へと導いた。