後藤健生の「蹴球放浪記」第194回「本来、芝生がないはずなのに……」の巻(1)ペナルティーエリアから消えた芝生の怪の画像
ワールドユース選手権1981年大会のADカード 提供/後藤健生

 現在では、芝生の上でサッカーが展開される。だが、かつての日本では芝生とサッカーは、それほど密接な関係ではなかった。その「証拠」を、蹴球放浪家・後藤健生がつづる。

■かつての「唯一のサッカー場」

 高円宮杯全日本U-15選手権で鹿島アントラーズジュニアユースが優勝を飾りました。クラブのレジェンド小笠原満男さんのご子息、小笠原央選手が本山雅志さんのようなキレキレのドリブルを見せたのをはじめ、テクニックのある選手たちが繰り広げる攻撃的サッカーは魅力的でした。

 準決勝のサガン鳥栖U-15戦は7対0の快勝。決勝戦は大宮アルディージャU15が縦へのドリブルで対抗して2対2のまま延長戦に突入しましたが、最後は平島大悟が強烈なシュートを決めて鹿島がタイトルをつかみました。

 準決勝と決勝戦の舞台は東京の味の素フィールド西が丘でした。最近の西が丘は本当に素晴らしい芝生に覆われていて、彼らがテクニックを発揮するのに絶好の舞台だったようです。

 しかし、昔は西が丘の芝生はひどい状態のことが多かったのです。

 陸軍施設の跡地に西が丘サッカー場が完成したのは1972年のことでした。

 東京唯一のサッカー専用スタジアム。ピッチの四隅に照明塔が設置されたコーナーライティングも新鮮でしたし、収容力は1万人程度でしたが、将来は拡張の計画もあるというのでサッカー・ファンの期待が集まりました。

 しかし、「唯一のサッカー場」だったため多くの試合が行われ、その結果、芝生は禿げ上がってしまったのです。

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