大住良之の「この世界のコーナーエリアから」第120回「チョップ、チョップ、アーヘン」(2) 日本代表がドイツで初めて目にしたキックの画像
「アルター・チボリ遊び場」の看板がこの地の歴史を伝えている (c)Y.Osumi
■住宅地の北側に残る、かつての「アルター・チボリ」のゴール裏スタンド跡

 サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト・大住良之による、重箱の隅をつつくような「超マニアックコラム」。今回のテーマは「日本サッカーの出発点」。

■古くからの名門

 さて、1960年のアレマニア・アーヘンとの対戦は、0-5の敗戦だった。当時のドイツにはまだ全国リーグであるブンデスリーガがなく、地域リーグの勝者が勝ち抜き制の「ドイツ選手権」を争うという形だった。当時のアレマニア・アーヘンは西部リーグの名門とされ、多くのファンをもっていた。

 日本代表チームは8月16日に羽田を出発してアラスカ経由で17日にパリ到着、翌18日にデュイスブルクのスポーツシューレにはいる。そして翌19日からクラマーさんの指導を受けることになる。試合が行われたのは5日後の8月23日火曜日、午後2時にスポーツシューレを出発、バスで2時間かけ、アーヘンのスタジアムには午後4時に到着した。キックオフは午後8時である。夏のドイツ。8時でも十分明るい。市内の子どもたちがたくさんかけつけ、観客は5000人だったという。

 しかし試合は惨敗だった。前半11分、日本GK古川好男(日本ダンロップ)がキャッチしたボールを少し運んでけった瞬間に笛が鳴り、なんとボールを手にしたままペナルティーエリアを出たとしてFKを取られたのである。ゴールまで17メートル。アレマニア・アーヘンのキックは巧みに曲がって古川の頭上を越え、ゴールにはいった。カーブをかけ、ストンと落ちるキックは、日本選手が目にしたことのないものだったという。

 その後も16分、そして後半28分、33分、42分と失点を重ね、日本はなすところなく敗れた。ちなみに出場選手は、GK古川、フィールドプレーヤーは、平木隆三(古河電工)、高森泰男(日本鋼管)、宮本征勝(早稲田大学)、小沢通宏(東洋工業)、川西武彦(東洋工業)、二宮寛(新三菱重工)、八重樫茂生(古河電工)、川淵三郎(早稲田大学)、佐々木康治(日本ダンロップ)、渡辺正(立教大学)だった。

 選手交代はなかった。控えには、GK浜崎昌弘(明治大学)、フィールドプレーヤーとして野村六彦(中央大学)、片山洋(慶応大学)、丹羽洋介(早稲田大学)、桑田隆幸(広島大付属高校卒、当時は所属なし)、松本育夫(早稲田大学)、守屋忠(古河電工)、鈴木秀利(中央大学)の8人がいた。

PHOTO GALLERY ■住宅地の北側に残る、かつての「アルター・チボリ」のゴール裏スタンド跡
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