■ハットトリックの語源
「ハットトリック」がサッカーのオリジナルではなく、クリケットから生まれたことはよく知られている。
きっかけはヒースフィールド・ハーマン・スティーブンソンという19世紀なかばの有名なクリケットの選手である。クリケットは英国発祥で、この国の旧植民地を中心に熱狂的な人気をもつ競技であるが、サッカーと違って世界的には広まらなかった。日本でも競技人口はわずか3500人と言われている。
野球の原型と言われる競技で、円形の広大な競技場の中心に、高さ71センチの3本の杭の上に「ベイル」というものを置いた「ウィケット」2組が約20メートルの距離で向き合っている。そのひとつのところに平べったいバットをもった選手が立ち、もう一方のウィケットのところから相手選手がワンバウンドで投げたボールをはじき返すという競技である。
「ボウラー」と呼ばれる投手がウィケットにボールを当てると「バットマン」はアウトになるのだが、なにしろ巨大なすね当てをつけ、体でウィケットを隠す形で立つバットマンがじゃまになって、これが至難の業だ。しかもスティーブンソンの時代は、現在のような「オーバースロー」ではなく、ソフトボールのような「アンダースロー」で投げることになっていた。
ところが、スティーブンソンはそれを3投球連続でやってのけたというのである。試合は1858年の夏にシェフィールドの「ハイド・パーク」というグラウンドで行われたオール・イングランド対ハーラム(シェフィールドの一地区)選抜。めったに見ることのできない快挙に感激した観客のひとりが、かぶっていたシルクハットをとり、そこにポケットから札を数枚取り出して入れ、周囲の観客にも募金を求めた。スティーブンソンはもちろんアマチュアだったが、「いいものを見せてくれた」という気持ちだったのだろう。