■サッカーの生みの親
最初の「サッカー・ルール」を書き、事実上の「サッカーの生みの親」となったのは、英国東海岸の都市ハル(正式都市名はキングストン・アポン・ハル)出身のエベンニーザー・モーリー(1831-1924)だった。彼はロンドンで弁護士として働きつつ、30歳のときに彼の住む地区名を冠した「バーンズFC」を設立、翌1863年に『ベルズ・ライフ』というスポーツ紙にフットボールの統括組織をつくらなければならないという趣旨の記事を書いた。この記事がロンドンの居酒屋「フリーメイソンズ・タバーン」でのFAをつくるための有名な会合につながるのである。
そして彼は、テムズ川の南岸にあった自宅で、全14条からなるサッカーの最初の「公式ルール」を書き上げたのである。そしてそのタイトルを「Laws of the Game」としたのも、モーリーだった。もしかすると、「Rule」ではなく「Law」としたのは、弁護士という彼の仕事に関連していたのだかもしれない。
ともかく、以後、サッカーのルールは「Laws of the Game」なのである。