■イタリア協会会長の機転

 1939年に第二次世界大戦が始まったとき、カップは1938年大会(フランス)優勝のイタリア・サッカー協会が保持していた。戦争が始まると、イタリア・サッカー協会の会長であると同時にFIFAの副会長でもあったオットリノ・バラッシが機転を利かせ、保管してあったローマ市内の銀行から持ち出すと、ローマ都心にあった自宅にもち帰り、しばらくクツ箱に入れてベッドの下に置いていた。しかし戦争遂行のため、のどから手が出るほど金を欲していたファシスト政権が強奪して溶かしてしまうことを恐れ、第二の手を打つ。

 イタリア半島の東、アドリア海に面するフォッジャ県のトッレマッジオーレという小さな町で農業を営む親戚の家。レオナルドとリゼッタという夫婦を説き伏せ、彼らが収穫したエキストラバージン・オリーブオイルの樽のなかに2年間漬けておいたのだ。そしてカップは、対戦後最初のワールドカップ、1950年ブラジル大会に合わせてFIFAに返還された。リメ会長をはじめ、戦後できるだけ早く大会を再開したいと考えていたFIFAの幹部たちは、「カップ無事」のニュースに大きく力づけられたという。

(4)へ続く
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