■「俺は俺」というスタンス
もともと興梠慎三は、鵬翔高校1年までは学校も部活もサボリがちなヤンチャ坊主だったという。2005年に鹿島アントラーズ入りした頃も「紛れもなく天才だけど、規律や節制は苦手」と関係者が嘆いていたほど。2007年から鹿島で主力をつかみ、3連覇の立役者になったが、その時点でもあまり野心がなく、2008年北京五輪代表に落選。A代表も2008年10月のウズベキスタン戦で代表デビューしたものの、定着は叶わなかった。
「代表よりもクラブで勝てればいい」と本人も若い頃からしばしば語っていたが、傍目から見るとどうも欲がなく、ガツガツと上を目指すようなキャラクターとは程遠かった。テクニックやセンスでは興梠より劣るであろう同学年の本田圭佑や岡崎慎司(シントトロイデン)、長友佑都(FC東京)らが代表に定着し、2010年南アフリカワールドカップ(W杯)に参戦。世界へ羽ばたいていく姿を間に当たりにしても、「俺は俺」というスタンスを貫いていた。
(取材・文/元川悦子)