■プロ入りまでの道のり
1997年11月25日三重県鈴鹿市生まれ。父は大阪のPL学園で甲子園に出場し、春夏連続準優勝という記録を残し、後に本田技研鈴鹿野球部の監督も務めた野球選手(清原和博と桑田真澄の1年先輩だった)だという。大きくはないが、フィジカルの強さは父譲り。中学時代を地元の四日市FCでボランチとして過ごし、静岡県の静岡学園高校に進学した。
ここで2年生のときに全国高校選手権に出場して活躍したが、3年生では全国大会出場を逃したことでプロからは声がかからなかったという。しかし高校時代に徹底的に鍛えられたボール技術とドリブルの能力が順天堂大学に進学すると開花。1年生からレギュラーとなって9得点。2年生のときにはユニバーシアード日本代表やU-20日本代表にも選出された。
2019年には川崎フロンターレへの加入が内定、特別指定選手として順天堂大学に籍を置きながら川崎フロンターレの練習に参加、最終節のコンサドーレ札幌戦で後半40分からFWとして出場した。
新人としてプレーした2020シーズンでは31試合に出場したものの、きらめくような攻撃陣をそろえてシーズン勝ち点83、総得点88という圧倒的な強さで優勝を飾った川崎のなかで先発出場はほぼ半分の14試合。「もっとプレーしたい」「先発から出たい」ともがくようなシーズンだったに違いない。翌シーズンの序盤に「左サイドバック」というやったことのないポジションでの出場を受け容れたのは、そうした背景もあっただろう。