■「芝生天国」ではない国で
やがて女子チームの参加が増え、5月のゴールデンウィークに単独で開催されるようになる。そして千野さんが旅館組合に強く要望したのが、グラウンドの芝生化だった。
それまでの菅平高原では、冬季に駐車場として使うところを夏季はグラウンドとして使っていた。当然土だった。だが千野さんはサッカーは芝生で行うものであることを粘り強く説き、やがて旅館組合がその執拗さに折れた。そしてあっという間に数十面の芝生グラウンドが生まれ、「サッカー・マガジン杯」も、社会人大会、女子大会、少年大会など、数百のチームが集まる大会となった。
緑美しい菅平高原のピッチを前にすると、50年以上前に指導していた少年サッカーの夏合宿のために初めてこの高原を訪れたとき、練習を始める前にみんなで石ころ拾いをしたことを思い出す。そしてあらためて、けっしてイングランドのような「芝生天国」ではないこの国で「芝生文化」をつくり、維持するには、川淵さんや千野さんのような個人的な情熱と、その情熱を形にするスタジアムの芝生管理スタッフ、菅平の旅館組合の人びとのような人びとのたゆまない努力が必要であることを思うのである。