後藤健生の「蹴球放浪記」第154回「各種トンデモ通訳との“対決”」の巻(2)「無知よりやっかいな善意」と「記者の語学」極意の画像
フランス取材ではフランス対モロッコを観戦 提供/後藤健生

 サッカー選手のレベルは、さまざまだ。キャリアにも能力にも差はあるし、人間としての個性もそれぞれだからだ。同じことが、通訳にも言える。取材者にとっては、選手らとの懸け橋となる重要な存在だが、こちらもキャラクターは千差万別だ。蹴球放浪家・後藤健生は、その違いをさまざまな場所で経験してきた。

■善意か、おせっかいか

 やっかいなのは、通訳がサッカーのことに詳しすぎるという場合です。

 何が問題なのかというと、通訳が自分の意見を入れてくるのです。

 ポルトガルに行ったときに通訳をお願いした男性も、とてもサッカーに詳しい人でした。

 1978年のワールドカップで優勝したアルゼンチン代表のメンバーを背番号順に全部言えるというのが彼の自慢でした(僕も言えます! 当時のアルゼンチンは、背番号はアルファベット順だったので覚えやすいのです)。

 彼は、長いことポルトガルに住んでサッカーを見続けていますし、サッカー関係の仕事もしています。

 だから、「急に日本からやって来た記者よりも、ポルトガル・サッカーのことは自分の方がずっとよく分かっている」という自負があるのです。そこで、「ちゃんと説明してあげなければ」と思って(善意で)自分の意見を入れてくれるのです。

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