W杯予選で香港へ

 その後、中国旅行も徐々に“自由化”されていきます。

「自由」というのは、自分で交通機関を手配して好きなホテルに宿泊し、現地でも好きなところを(ガイド=監視なしで)見物できるという意味です。

 そんな「自由旅行」を初めて楽しんだのは、1985年9月のことでした。

 森孝慈監督率いる日本代表がスペイン・ワールドカップ1次予選で北朝鮮を破って2次予選に進出。2次予選の対戦相手が香港でした。

 神戸で行われた第1戦では日本が3対0で完勝。第2戦の香港戦は9月22日に香港ガバメント・スタジアム(政府大球場)で行われ、木村和司と原博実の得点で日本が再び2対1で勝利して最終予選に進出。最終予選は韓国とのホーム&アウェーで争われることになりました。日本は韓国に連敗してワールドカップ初出場はなりませんでしたが、歴史上最もワールドカップ本大会に最も近づいた瞬間でした。

 当時はまだ香港でも反日意識が強い時代で、試合後はスタジアム周辺が大荒れとなり、日本人サポーターは香港の観客が完全にいなくなるまでスタンドから出ることを許されず、日本代表も直接宿舎に帰れず、バスで市内を回っていたそうです。

(2)へ続く
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