後藤健生の「蹴球放浪記」第149回「中国で初めて“自由旅行”を体験する」の巻(1)香港が中国への入り口だった時代の画像
ワールドカップ予選、香港対日本の記者證 提供/後藤健生

 現在は、ほとんどの国や地域に自由に旅行することができる。だが、かつては入国することさえ困難で、自由な旅が許されない国もあった。Jリーグ開幕前、日本代表が最もワールドカップ出場に近づいた瞬間までの道のりは、蹴球放浪家・後藤健生にとっても感慨深いものだった。

■中国へと直接飛べなかった時代

 前回は、東ドイツを横断する話をしましたが、同じように1970年代には日本人にとって中国(中華人民共和国)も自由に訪問できる国ではありませんでした。

 1972年に田中角栄首相が訪中して日中国交正常化が実現するまでは、中国に行くには飛行機で香港まで行って、陸路で香港(当時は英国の植民地)と中国の国境を越えるのが一般的でした(モスクワ経由という方法もありましたが……)。

 1974年に日中航空協定が締結されて、ようやく日中間に直行便が飛ぶようになりました。中国と台湾の飛行機が鉢合わせしないように、中国の中国民航は成田空港に乗り入れ、台湾の中華航空は当時は国内線専用だった羽田を使用するといった気の使い方でした。

 飛行機は飛んだとしても、自由に旅行するわけにはいきませんでした。

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