■サッカーがポルトガル語になかった時代
しかし、僕の言う「古いスタジアム」というのはアンタスのことではありません。
1913年に建設され、FCポルトがアンタスに移転する1953年までホームとして使っていた「カンポ・ダ・コンスティトゥソン」のことです。市内の中心部、コンスティトゥソン(憲法)通り900番地にあり、2万人を収容するスタジアムでした。
番地を頼りに行ってみると、煉瓦塀に囲まれたグラウンドが残っていました。塀には大きな文字で「Foot-Ball Club do Porto」と書いてあります。
現在のFCポルトのクラブ名は「Futebal Clube do Porto」です。
つまり、1913年当時はまだ「フットボール」や「クラブ」のスペルがポルトガル語化される前だったので、英語で表記されていたのです。しかも、昔の英語ですから「Foot」と「Ball」の間には「-」(ハイフン)が入っています。
塀の中に入ってみると、グラウンドではFCポルト主催のサッカー教室が行われていました。クラブのアカデミーではなく、近所の子供たちを集めた普及を目的とする教室です(優秀な子供はクラブのアカデミーに移ることもあるそうです)。
よく見ると、グラウンド横には取り壊されたスタンドの最前部が残っていました。
このように、スタジアムが取り壊された後もグラウンドが残されて、子供たちのために使われている所も多いようです。