■その3 生い立ち
誕生は1940年10月23日。欧州では第二次世界大戦の2年目で、破竹の勢いのナチスドイツがすでにフランスを占領下に置き、勢いを買って英国本土への空襲を繰り返していた時期である。そして日本では、日中戦争が泥沼化し、英米の圧力に対抗しようと日本政府が日独伊三国同盟を結んだ少し後のことにあたる。だが「世界大戦」から遠く離れた南米は平和そのものだった。
父ジョアン・ラモス・ド・ナシメント(通称ドンジーニョ)はケガなどで成功することがなかったサッカー選手だった。母はセレステ・アランテス。長男ペレが生まれたころ、ドンジーニョはトレス・コラソンイスというミナスジェライス州南部の小さな都市のクラブで細々とプレーする選手だった。現在は人口8万人のトレス・コラソンイスだが、当時は2、3万程度だっただろう。そんな町のクラブが選手にプロらしい給料を払えるわけがない。ドンジーニョがプレーするのは、「セミプロ」と言っていいクラブで、一家の生活は非常に厳しかった。