後藤健生の「蹴球放浪記」第132回「優しすぎてイライラする日本の路線バス」の巻(2)アルゼンチンでは運転手も乗客もサバイバルの画像
1978年アルゼンチンW杯決勝の入場券 提供/後藤健生

 サッカーを文化としてとらえ、その他の国民性と結びつけて論じられることがある。果たして、その考え方は正しいのか。蹴球放浪家・後藤健生は、各国のバス運行とサッカーの関係性について考える。

■止まってくれないバス

 僕は、1978年にワールドカップ観戦のために初めてアルゼンチンを訪れましたが、この時の“バス体験”はビックリだらけでした。

 バス同士の競争はかなり激しいものがありましたから、乗客が降りるときにもわざわざ止まってなどくれません。停留所が近づくと出口のドアが開き、バスが徐行します。降りる人は徐行しているバスから飛び降りるわけです。

 もちろん、お年寄りなどが降りるときには止まってくれます。しかし、健康な若者なら、わざわざ止まる必要はないというわけです。そして、他の乗客にとってはバスが止まらない分、目的地に早く到着するという利点もあるわけです。

 さらに、満員のバスに乗ろうと思っても、運転手の都合で先を急いでいる場合は止まってくれないこともあるんだそうです。そんな時はどうするのか? バスに止まれと合図したら煉瓦を持って、投げるようなフリをするんだそうです。

「止まらなかったら、この煉瓦を投げるゾ」というわけです。

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