■思い出される「ザプロージェ」
1960年の最初の遠征では、モスクワのレーニン・スタジアム(現在のルジニキ)でトルペド・モスクワといった強豪と対戦して0対8で大敗したり、ベラルーシ(当時の白ロシア共和国)の首都ミンスクで「白ロシア代表」(FIFA加盟国ではないので公式国際試合にはなりません)に勝利したりしていますが、その後の遠征ではやはり地方都市での試合が多くなりました。
モスクワやレニングラード(現在のサンクトペトロブルグ)、あるいはカザフスタン共和国のアルマトイ、アルメニア共和国の首都エレバンなどはだいたいどこにあるのか分かりましたが、中には手元の小さな地図には載っていないような街でも試合がありました。
1966年のソ連遠征の時には「ザプロージェ」という街でザプロージェ選抜、「ジュダコフ」でドネツク選抜、「ピャチゴルスク」でロシア共和国選抜、「ルガンスク」でソ連オリンピック代表と対戦しています。
当時は、「いったいどのへんなのかなあ?」と思っていましたが、その地名は僕の記憶の片隅にずっと残っていました。
「ザプロージェ」……。その名は最近になって、急に毎日のように日本の新聞に載るようになりました。
「ザプロージェ」はロシア語でウクライナ語では「ザポロージャ」となります。