■リーグ誕生への胎動

 1888年当時、ロンドンのクラブはまだプロ化しておらず、イングランドのサッカーで(すなわち世界のサッカーで)プロ化していたのは北部(マンチェスターやリバプールなど)やミッドランド(バーミンガムなど)のクラブだけだった。マグレガーは、そうしたクラブを集結し、ホームアンドアウェーで年間を通じて試合をしたらどうかと思いついた。プレストン・ノースエンドがプロ公認をめぐってした提案とは違い、FAから出ることはなく、FAカップに参加しつつ、そのほかでしっかりとした試合日程をつくろうとしたものだった。

 1888年3月2日、マグレガーは手紙を書き、それをいくつかのクラブに送った。当時彼はアストンビラの理事だったが、送り先にはアストンビラも含まれていた。すなわち彼は、アストンビラを代表してではなく、マグレガー個人として手紙を出したのだ。そのなかで彼は「10ないし12の際だったクラブがグループをつくり、毎シーズン、ホームアンドアウェーの試合日程をつくろう」と提案している。そして追伸として、このための話し合いをするために3月23日金曜日にロンドンのアンダートンホテルで会合を開こうと書いた。この日はFAカップ決勝戦の前日に当たり、イングランド中の主要クラブの代表者がロンドンに集まることになっていたからだ。

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