英国植民地だった香港はかつてはアジアのサッカー先進国で、アジア・サッカー連盟(AFC)が発足した時、最初の本部は香港に置かれたほどでしたが、20世紀の後半には香港のサッカーはすっかり弱体化。観客数も激減してしまいました。人々は、イングランド・プレミアリーグは熱心に観戦しますが(もちろん、賭けの対象として)、国内の試合にはあまり興味を持っていません。

 ちなみに、それでも香港代表は当時のラオスよりはかなり強く、試合は5対1で香港が勝利しました。

■歴史は糾える縄のごとし

 さて、SARSはどうだったのでしょうか。

 僕は、旺角に行くのに便利なように、九龍側の彌敦道(ネイサンロード)沿いのホテルに泊まって、そこからバスでスタジアムまで行きました。そして、バスの座席に座っていたら、後ろの席に座った中年男性が「ゴホッ、ゴホッ」と盛大に咳をし始めたのです。その時は「まあ、仕方がない」と諦めて座っていましたが、後から考えれば、かなりヤバイ状態だったわけです。今になって思えば、やはりすぐに席を移動すべきだったと反省しています。

 ただ、もし僕があそこで感染したまま帰国していたとしたら、日本でもSARSが大流行していたかもしれません。そうなっていたら、きっと日本の防疫体制も改良されていたでしょうから、2020年の新型コロナウイルス感染症の流行はあれほど酷くなっていなかったかもしれません。

 歴史は糾える縄のごとし……。

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