後藤健生の「蹴球放浪記」第118回「SARS大流行直前の香港を歩く」の巻(2)歴史を変えたかもしれないバスでの「出会い」の画像
亜洲盃初賽(アジアカップ予選)香港大会のADカード 提供/後藤健生

 新型コロナウイルスは、世界中に大きな混乱をもたらした。日本も大きなダメージを受けたが、蹴球放浪家・後藤健生は20年ほど前の中国でのパンデミックに「ニアミス」していた。もしかしたら、歴史が変わっていたかもしれない「出会い」があった。

■繁華街に近いスタジアム

 試合会場は、国際試合でお馴染みの香港スタジアムではなく、九龍側にある旺角大球場でした。香港に何度か行ったことのある方なら、旺角(モンコク)という盛り場はご存知でしょう。地下鉄(MTR)の駅名にもなっています。

「旺角」という地名も面白い歴史を持っています。かつて、この地は海辺に草が生えただけの何もない一帯でした。そこで、「芒角」と呼ばれていたのです。「芒」という文字は、いかにも何もなさそうな寂れた印象の文字です。英語表記では「Mong Kok」となります。

 しかし、この街は次第に繁華街として発展していきました。そこで、1930年代に「旺角」と改名されたのです。「旺」という字は、「旺盛な」という言葉に使われているように、「賑わっている」という意味の言葉です。「旺」の発音は「モン」ではなく「ワン(Wang)」なので、英語表記も変えるべきだったのですが、英語表記はどういうわけか「Mong Kok」のままにされたので、中国語(広東語)では「ワンコク」と発音するのに、英語では「モンコク」と捻じれたままになってしまったのです。

 香港スタジアムとは違って収容力1万人弱くらいの小さなスタジアムで、香港の国内リーグによく使われています。ちなみに、僕が見にいった香港対ラオスの試合は、観衆が1239人でした。

  1. 1
  2. 2