■ワールドカップ優勝にちなんだ?

 この形から遠く離れた東京オリンピックの背番号の付け方は、かなり斬新な考え方に基づくものだった。これはもしかしたら、デットマール・クラマーのアドバイスによったものかもしれない。クラマーの恩師ゼップ・ヘルベルガーが「ベルンの奇跡」と呼ばれるワールドカップ優勝(1954年スイス大会)を飾ったとき、まさに1964年東京オリンピックの日本代表のような背番号の付け方をしていたのだ。

 GKアントン・トゥレクが1番を付けた後、2番から10番まではずらりとDFの選手を並べた。そして11番以降はMFとFWが入り交じっている。本来ならエースストライカーがつける背番号9を付けたのは、左サイドバックのパウル・メブスだった。そして10番は、センターバックのベルナー・リーベリッヒの背中にあった。

 同じように、1964年の東京オリンピックの日本代表では、センターバックとしてフル出場したDF鎌田光夫が8番をつけ、9番もDFの富沢清司だった。

 東京オリンピックで釜本邦茂の背中についたのが15番だったのは、ほんの偶然だったかもしれない。しかし彼はこの番号を愛した。東京オリンピックでは非公式の順位決定戦(1-6ユーゴスラビア、相手にはイビチャ・オシムがいた)での1点以外は得点を記録することができず、その悔しさを忘れないようにという決意からか、その後の日本代表では、好んでこの番号を付けるようになったのだ。そして4年後のメキシコ・オリンピックでも、彼は15番をつけ、最高レベルの得点力を見せて世界を驚かせた。

(3)へ続く
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