大住良之の「この世界のコーナーエリアから」第92回「カマモトといえば背番号15」(2)斬新だった東京五輪での背番号の割り振りの画像
ペレも釜本のために日本にやってきた 写真:岡沢克郎/アフロ

 サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。重箱の隅をつつくような、サッカージャーナリスト・大住良之による「超マニアックコラム」。今回は、なぜブラサカ黒田智成選手の背中に「15」があったのかについて。

■強化の「到達点」だったメキシコ五輪

 日本のサッカーにとって、メキシコ・オリンピックは、1960年にスタートした東京オリンピックに向けての強化の「到達点」だった。1964年東京オリンピックの代表には、33歳のDF平木隆三、31歳のMF八重樫茂生という8年前の1956年メルボルン・オリンピックで代表だったベテランもいたが、その一方でMF小城得達(中央大4年)、FW杉山隆一(明治大3年)、GK横山謙三(立教大3年)、MF森孝慈(早稲田大2年)、FW釜本邦茂(早稲田大2年)、DF山口芳忠(中央大2年)と、メンバーのなかに6人もの大学生が含まれていた。19人の平均年齢は24.26歳だった。

 この6人は、全員、1968年メキシコ・オリンピックのメンバーとなった。6人だけではない。メキシコ大会18人のメンバーのうち、実に14人が4年前にオリンピックを経験した選手だったのだ。18人の平均年齢は26.94歳。「銅メダルは8年間の強化の結実」と言っても、けっして過言ではないことがわかるだろう。

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