■FIFAからかかった「待った」の声
そして「決勝戦」はイスラエルとスーダンの間で争われることになった。しかしここでも政治情勢が事態を混乱させた。政治的理由から、スーダンが棄権を決めたのだ。イスラエルは「アジア/アフリカ・グループ」からの唯一の生き残りとなり、ワールドカップ初出場を決めた。しかしここでFIFAが介入する。「開催国ならびに前回優勝国を除き、予選を1試合も戦っていない国がワールドカップに出場することはできない」という規約を持ち出したのだ。
FIFAの案は、欧州、南米、北米/中米の計12組の予選の2位敗退国(ブラジルとペルーの2か国だけだった南米第1組を除く)から抽選で1か国を決め、イスラエルとプレーオフを行わせるというものだった。これが大陸間プレーオフの始まりということになる。1957年12月の抽選を前にウルグアイがプレーオフ棄権を発表、欧州第8組の北アイルランドとイタリアは、最終戦(1958年1月15日)がまだ終わっていないために除外された。
抽選で選ばれたのはベルギーだった。しかしベルギー協会は棄権を通告、2回目の抽選で選ばれたのが、欧州予選第4組でチェコスロバキアに次いで2位となり、予選落ちしていたウェールズだった。