大住良之の「この世界のコーナーエリアから」第91回「ワールドカップ予選大陸間プレーオフの長い物語」(4)記念すべき初戦は「ウェールズVSイスラエル」の画像
FIFAがプレーオフを混乱させたこともあった 写真:渡辺航滋

 サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。重箱の隅をつつくような、「超マニアックコラム」。サッカージャーナリスト・大住良之が今回つづるのは、「最後の一座へ、地球を半周して」。

■最初の開催は1958年大会予選

 さて、だいぶ長くなってしまった。最後に「史上最初の大陸間プレーオフ」の話をしよう。それはスウェーデンで開催され、17歳のペレの活躍とブラジルの初めての優勝で記憶に残る1958年大会の予選のことだった。ただし、この大陸間プレーオフは最初から予定されていたわけではない。

 当時のワールドカップ出場国は全部で16である。FIFAはそれを欧州に11(開催国スウェーデン、前回優勝の西ドイツを含む)、南米に3、北米および中米に1、そしてアジアおよびアフリカに1と割り振った。アジア/アフリカ予選のエントリーは11チーム。韓国とエチオピアが組み分け決定前に棄権し、FIFAは9チームを4組に分け、準々決勝、準決勝、決勝と、各ラウンドをホームアンドアウェー方式で戦うことを決める。

 1組には中華人民共和国(中国)、中華民国(チャイニーズ・タイペイ=台湾)、インドネシアの3か国、他は2か国ずつで、第2組はイスラエルとトルコ、第3組はエジプトとキプロス、そして第4組はスーダンとシリア。だがこのなかで試合が行われたのは第1組と第4組だけだった。

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