■心に残る「ロウレンソマルケス」の響き

 モザンビークは、当時はポルトガルの植民地(正確に言うと「海外領土」)でした。同じくポルトガル領だったアンゴラ出身の父親を持つエウゼビオ・ダ・シルヴァ・フェレイラは、1942年にモザンビークの首都「ロウレンソマルケス」で生まれ、同地にあったスポルティングの下部組織で育ったのですが、1960年に同じリスボンのライバルであるベンフィカが横取りするような形で契約してしまったようです。

 モザンビーク。そしてロウレンソマルケス……。そのエキゾチックな音の響きが心に残りました。将来、そんなところに行けるなどとはまったく思えない遠い異国でしたが……。

 だから、「大会前にどこかに行こう」と思ってアフリカ南部の地図を眺めた時、自然にモザンビークという文字が目に入ってきたというわけです。

 しかし、モザンビークは1975年の独立後、内戦が続いていた国です。果たして、安全に旅行できるのでしょうか……。

(2)へ続く
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