■東京オリンピックでの教訓

 そして、そのためにはグループリーグで厳しい3連戦を戦った後にも、最低限もう1試合を全力で戦えるだけの力を残しておく必要がある。

 たとえば1998年に日本が初めてワールドカップに出場した時などは、万が一、グループリーグを突破できたとしても、ラウンド16を戦うだけの余力はまったくなかっただろう。

 今でも、4試合目はかなり難しい試合となる。そのため、ロシア大会では当時の西野朗監督が、まだグループリーグ突破が決まっていなかったのに、3試合目となるポーランド戦でメンバーを大幅に変更して戦った。

 そのため、日本はポーランドに敗れてしまって、フェアプレーポイントの差による薄氷の“勝利”となった。大きなギャンブルだった。しかし、もしポーランド戦でもメンバーを変えずに戦っていたら、ラウンド16であのような好ゲームを繰り広げることは不可能だったはずだ。

 東京オリンピックでは、西野監督より慎重な森保監督はグループリーグ突破が決まった後の3戦目(フランス戦)もメンバーを変更せずに戦ったが、疲労の影響で準々決勝のニュージーランド戦では得点を奪えずに、PK戦まで戦うことになり、準決勝では疲労を溜め込んだまま強豪スペイン相手に敗れてしまうことになった。

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