元日本代表監督のイビチャ・オシム氏が亡くなったと、ボスニア・ヘルツェゴビナサッカー協会や、同氏がかつて指揮を執ったシュトルム・グラーツ(オーストリア1部)などが報告。教え子である阿部勇樹氏や巻誠一郎氏、さらにはオシム氏が監督を務めたジェフユナイテッド市原(現・ジェフユナイテッド千葉)などが哀悼の意を表した。
■かつての教え子や古巣クラブが弔意を
オシム氏は現役引退後に指導者の道へと進み、かつて自身がプレーしたユーゴスラビア代表を指揮して、パナシナイコス、シュトルム・グラーツなどを率いた後、2003年にジェフユナイテッド市原(現・千葉)の監督に就任。「考えて走る」サッカーを浸透させて、2005年にはヤマザキナビスコカップ(現・YBCルヴァンカップ)を制し、クラブに初タイトルをもたらした。
その後は2006年夏に日本代表の監督に就任。「日本サッカーの日本化」を唱えて、日本人の勤勉さに戦術的要素を加えたプレースタイルで話題を呼んだ。しかし、2007年11月に脳梗塞で倒れて辞任し、故郷であるサラエボに帰国した。
そして5月1日、ボスニア・ヘルツェゴビナサッカー協会は、オシム氏がオーストリアのグラーツで亡くなったと報告。
この訃報を受けて、かつて市原や日本代表で指導を受けた阿部勇樹氏はオシム氏と一緒に写った写真とともに、「サッカーが好きで好きでたまらない、オシム監督!感謝しております」と文章を添えてツイート。
また、同じくクラブと代表で指導を受けた巻誠一郎氏は「僕にとってオシムさんはサッカーだけでなく、人生の師です」とつづり、「サッカーを辞めた今でもオシムさんの教えを体現しています」とツイートした。
さらにオシム氏の古巣であるジェフユナイテッド千葉も弔意を評している。
日本サッカーにとっての偉大な恩人であるオシム氏。心からの哀悼の意を表します。