後藤健生の「蹴球放浪記」第100回「ウクライナ・リヴィウ市を巡るサッカー史」の巻(2)「隣国」ポーランド・サッカーの生誕地となった現ウクライナの街の画像
ワルシャワ発キエフ行き列車の乗車券(表示はポーランド語とドイツ語) 提供/後藤健生

 ロシアのウクライナへの侵略に、世界の視線が注がれている。首都キエフとともによく名前の聞かれるようになった「リヴィウ」。本来は戦地だからではなく、それ以外の理由で名を知られるべき街の歴史を、蹴球放浪家・後藤健生が語る。

■国境を勝手に動かし続けるロシアの横暴

 ナチス・ドイツとの戦争に勝利したソビエト連邦は自らの国境を西側に移動させます。ポーランドの東部はソ連の領土となり、その代わりにドイツ東部がポーランド領となりました。つまり、ポーランドと言う国が全体として西に移動させられたのです。

 元ポーランド領だった土地にはロシア人が移住し、そこに住んでいたポーランド人は西部の旧ドイツ領に移住。そして、ドイツ人はドイツに追放されました。

 つまり、日本が主張している「北方領土」よりもはるかに広大な土地がソ連領とされたわけです。

 当然、各国ともソ連の横暴に対して不満があるのですが、領土問題を蒸し返したりしたら再び戦争になりますから、各国とも新しく引かれた国境線を認めて平和を保ってきたわけです。

 そうして第2次世界大戦終結から77年間、各国が不満を抱きながらも尊重してきた新しい国境線を、その国境線を各国に押し付けた張本人のロシア自身が軍事力を使って再び変更しようというのですから、プーチンのやっていることはまさに「暴挙」以外の何物でもありません(たしかにウクライナとロシアの国境線はウクライナに有利すぎた部分もあったようですが、それを決めたのもモスクワのソ連政府だったのです)。

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