2012年にも僕は再びディナモのスタジアムを見学に行って、そのまま丘を西に向かいました。

 そこがキエフの歴史的中心部でした。ソフィア広場の周囲には聖ソフィア大聖堂や聖ミハイール黄金ドーム修道院といった宗教施設が点在し、初夏の温かい日差しに日本では「ネギ坊主」とも呼ばれる黄金のドームがキラキラと輝いていました。

 この辺りはキエフ観光の中心地。ウクライナ料理やジョージア料理などのレストランが建ち並んでいます。美味しい料理にも舌鼓を打ち、僕はすっかりキエフのファンになってしまいました。

■歴史上でのキエフの存在感

 キエフの教会(ウクライナ正教会)は歴史上でもとても重要なものです。

 西暦紀元前に成立した古代ローマ。4世紀にはコンスタンティヌス帝によってキリストが国教化されます。しかし、ローマ市のある西ローマ帝国は滅んでしまい、カトリック教会とそのリーダーである教皇は国家とは別の道を歩み、現代のバチカンにつながります。一方、コンスタンティノープル(現在のイスタンブール)を首都とする東ローマ帝国(ビザンチン帝国)では古代ローマの伝統を引き継ぎ、東ローマ皇帝は教会の指導者も兼務していました。

 ところが、1453年にコンスタンティノープルはイスラム教を奉じるオスマン帝国に占領されてしまいます。その後、キエフは東方教会でも重要な地位を占めるようになり、さらにモスクワが東方教会のリーダーとなって「第三のローマ」を自称するようになり、それを核にロシア国家が成立します。

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