■博多湾をモンゴル軍が狙った理由

 千葉に上陸して東京を目指すためには千葉と東京の間の低湿地帯を超えるのが難しかったからです。今は水田などになっていますが、川を氾濫させてしまえばかつての低湿地帯を簡単に水浸しにして、戦車の進撃を遅らせることができます。

 一方、相模湾から相模川より東側の茅ヶ崎に上陸すれば、台地上を走って一気に首都東京を目指せます。また、相模川の橋を落としてしまえば、西日本方面から来援する日本軍を相模川のラインで止めることができるから相模川の東の茅ヶ崎が上陸地点だったのです。

 モンゴル軍も、日本側が守りを固めている博多湾ではなく、それより東の地点に上陸して、そのまま関門海峡を通過して瀬戸内海を東に向かって進撃することができたのではないか……。僕はずっとそう思っていました。

 しかし、車窓から見ていると九州北部の海岸地帯は山ばかりの地形だったのです。な~るほど、このあたりには大軍を上陸させるような平地はなかったんだ! 九州北部で大軍を上陸させられることができるのは、やはり博多湾しかなかったのだ。

 長年心の底でモヤモヤしていた疑問が晴れたので、その夜は日本がアルゼンチンを破る試合を楽しく観戦することができました。

PHOTO GALLERY ■【画像】JSL時代の強豪・八幡製鉄の本拠地だった鞘ヶ谷競技場。グラウンドの向こうにモンゴルの侵攻を許さなかった理由が見える
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