後藤健生の「蹴球放浪記」第97回「蒙古軍はなぜ博多湾から攻め入ったのか?」の巻(2) 博多の敵をフクアリで討つの画像
北九州でのアルゼンチン戦のADカード 提供/後藤健生
■【画像】JSL時代の強豪・八幡製鉄の本拠地だった鞘ヶ谷競技場。グラウンドの向こうにモンゴルの侵攻を許さなかった理由が見える

 サッカーは歴史に学ぶことも多い。だから、蹴球放浪家・後藤健生も歴史に親しむ。昨年は国外への遠征はなかったが、国内をめぐることで新たな学びを得た。

■戦略上重要な上陸地点の決定

「どこに上陸するのか」。これは戦略的に大変に重要な決定です。

 1944年6月に連合軍はナチス・ドイツによって占領されていたフランスのノルマンディー海岸に上陸します。「史上最大の作戦」と呼ばれる戦闘ですが、連合軍は上陸作戦の前に各地の海岸に対して陽動作戦を行ったため、ドイツ軍側は上陸地点がノルマンディーであることを突き止めることができませんでした。

 また、アメリカ軍は日本との戦争が継続した場合には、日本本土上陸を計画していました。日本軍もそれに備えていたのですが、アメリカ軍がどこに上陸するのかが分かりませんでした。神奈川県の相模湾なのか、それとも千葉県の九十九里海岸なのか、それとも茨城県の鹿島灘から上陸してくるのか……。

 アメリカ軍は実際には神奈川県の茅ヶ崎付近に上陸する計画だったそうです。

PHOTO GALLERY ■【画像】JSL時代の強豪・八幡製鉄の本拠地だった鞘ヶ谷競技場。グラウンドの向こうにモンゴルの侵攻を許さなかった理由が見える
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