■すべては「強欲」から始まった
1970年のメキシコ大会、選手の健康を無視した12時キックオフに、なぜスタンレー・ラウス会長は断固反対しなかったのか。彼を引き継いだジョアン・アベランジェ会長は、いつ「サッカーとワールドカップを真に世界の人びとのものにする」という初期の理念を忘れ、その任期の途中から事務総長に抜てきしたブラッターとともにワールドカップの「ビッグビジネス化」、そしてその利益を自己のものとする汚れきった道を突き進んだのだろうか。そしてインファンティーノは、まずしっかりと浄化しなければならなかったFIFAという組織を、どのようなマジックを使って、ブラッター時代以上の「強欲」でカネまみれの組織にしてしまったのか。
ワールドカップの若々しい魅力は消えうせ、確実に「終末化」が進行している。FIFAの「2年ごとの開催」案は、そのワールドカップに「死」への最後のひと押しになりかねない危険極まりない愚策だ。そのすべては、「強欲」から始まっている。
「強欲」とは単に「強い欲望」という意味ではない。カトリック教が説き、ダンテの『新曲』でも有名な「七つの大罪」のひとつであり、煉獄(れんごく)に落ちる重罪とされている。ちなみに「強欲」の対極となるのが、「慈善・寛容」である。
誕生からもうすぐ1世紀を迎えるワールドカップ。世界のサッカーのリーダーたちは、「強欲」に陥りそうな危機から目覚め、ふたたびこの「人類の祭典」に若々しい活力と心躍る魅力をもたらすことができるだろうか。
≪ワールドカップ放映権料などのデータは、以下の書籍を参照させていただきました(筆者)。『テレビスポーツ50年~オリンピックとテレビの発展~力道山から松井秀喜まで』(杉山茂&角川インタラクティブ・メディア著、2003年株式会社角川インタラクティブ・メディア刊)≫