サッカーの世界地図で、重要な位置を占める南米大陸。当然、蹴球放浪家・後藤健生にとってのフィールドだ。大学で政治学を学んだ後藤にとって、独裁政権時代のチリは、一層の知的好奇心をかき立てた。
■アルゼンチン入国前の旅
去る11月21日、南米のチリで大統領選挙が行われ、過半数を取った候補がいなかったため、12月19日に極右の元下院議員ホセ=アントニオ・カスト氏と左派の下院議員ガブリエル・ボリッチ氏による決選投票が行われることになったそうです。
僕がチリという国に初めて足を踏み入れたのは1978年5月、アルゼンチン・ワールドカップ開幕直前のことでした。
「南米大陸になど二度と行く機会はないだろう」と思った僕は、北米ロサンゼルスからペルーに入って、ボリビア、チリを回ってからアルゼンチンに入り、大会終了後はパラグアイ、ブラジルを観光して帰国するという旅行を計画したのです。ペルーでゼネストに出くわして催涙弾の水平撃ちを経験したり、原住民のオバサンたちが行商に行くトラックに乗ってボリビアに脱出したりといった“珍道中”の話は放浪記の第15~16回でご紹介しましたが、ボリビアのラパス空港からはルフトハンザ機に乗ってチリ共和国の首都サンチャゴ・デ・チレを目指しました(現地スペイン語では「チリ」ではなく「チレ」と発音します)。
ところが、サンチャゴの空港が霧に覆われてしまったので飛行機はチリ最北端の太平洋岸にあるアントファガスタという銅山の町に到着。そこで一夜を明かして翌日の国内線でようやくサンチャゴに到着しました。