日本のサッカーチームが初めて国際試合を戦ったのは1917年に東京・芝浦で開かれた第3回極東選手権大会の時だった。日本と中国、フィリピンが参加して陸上や水泳、テニス、バスケットボールなど様々な競技が行われる総合競技大会で、日本が本格参戦したのはこの時が初めてだった。そして、当時日本最強だった東京高等師範学校が出場したのだが、中国には0対5、フィリピンには2対15と大敗を喫してしまう。
以後、日本サッカーの目標は中国(実質は香港のチーム)とフィリピンに勝つこととなった。そして、1927年に初めてフィリピンに勝利。1930年大会ではフィリピンに勝って中国とは引き分け。日本は同位優勝を遂げた。
1930年代に入ると、日本が現在の中国東北部に傀儡政権である「満州国」を建国したために日中関係が悪化。その「満州国」が極東選手権への参加を希望したことで(中国が認めるわけはない)、極東選手権は開催できなくなってしまう。
日本は世界を目指すこととなり、1936年のベルリン・オリンピックに初めて参加し、1回戦でスウェーデンに勝利。さらに、1938年のフランス・ワールドカップにもエントリーしたのだが、日中戦争の拡大で棄権を余儀なくされてしまった。
つまり、1930年代になると日本サッカー界の目がヨーロッパに向くようになったのだ。また、このころには様々な形でヨーロッパに渡航するサッカー関係者も増え、当時の大日本蹴球協会の会報や『運動界』や『アサヒスポーツ』といったスポーツ雑誌にイングランドのリーグ戦の様子が写真入りで紹介される機会も増えたのだ。
そして、その1930年代はアーセナルの黄金時代だったので(1930年代にアーセナルはFL1部で5度の優勝を飾っている)、日本でもアーセナルは最も有名なイングランドのクラブとなったのだ(同様に1930年代に黄金時代を迎えていたニューヨーク・ヤンキースも、日本で最も有名なアメリカの野球チームとなった)。