大住良之の「この世界のコーナーエリアから」第78回「ピッチの二〇三高地」(3) 「2度のワールドカップには存在しなかった『アーク』」の画像
現代のサッカーでは、見慣れた風景だが… (c)Y.Osumi

 サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。重箱の隅をつつくような、「超マニアックコラム」。今回は、「エリア前の変な物」。サッカージャーナリスト大住良之が、歴史と算数に挑む。

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 イングランド生まれのサッカー。それまでにピッチに描かれていたさまざまなラインは、すべて英国4協会内での提案から生まれたものだったが、「ペナルティーアーク」だけは欧州起源のものであるところに、この長さ約16.94メートルの弧の形をしたラインがもつ、どこかゆかしい雰囲気の源がある。

「ペナルティーアーク」とは、「PKのときにキッカーと守備側GKのほか、両チームの選手が近づいてはいけない9.15メートルの距離」を示すものとして引かれたラインであることはわかった。だがなぜセンターサークル(これも、キックオフ時に相手選手が離れていなければならない9.15メートルの距離を示すものである)のような完全な円にせず、いわばペナルティーエリア外にはみ出した分だけにしたのか。それは1902年のルール改正により、PKにかかわる2選手のほかは、ペナルティーエリア外にいなければならないことになっていたからである。最初からエリア内に引く必要はなかったのである。

「アーク」とは「円周」の一部である「弧」を意味する。サッカーのラインは、通常、そのラインで囲まれた「エリア」の境界線の役割をもっている。しかし円形、あるいは円形の一部の弧を用いて描かれたセンターサークルと「ペナルティーアーク」は、ただただ、セットされたボールからプレーヤーが離れていなければならない距離を示している。「ペナルティーアーク」とペナルティーエリアのラインで区切られた「弓形」の部分は、特定なエリアではなく、ただ、ペナルティーエリア外のピッチに過ぎない。

 しかしピッチのこの部分は、サッカーの試合において非常に重要な意味をもっている。攻撃側がこの中かその少し手前でボールを保持することができれば、次のプレーにおいて決定的なチャンスを迎える重要な布石になる。あるいはまた、守備側のプレーヤーとの距離が少しでも開いていれば、ゴールに向かって強烈なシュートを送り込むことができる。「バイタル(きわめて重要な)エリア」と呼ばれるゆえんである。

「ペナルティーアーク」は、攻撃側が最終目標(ゴール)を攻め落とすために当面目指す「攻略目標」であり、戦略上非常に重要な「目印」であると言える。日露戦争で旅順港内のロシア艦隊撃滅を目指した日本軍が、「あそこを取れば」と、多大な犠牲者を出して攻略した「二〇三高地」のようなものと言っても、言い過ぎにはならないだろう。

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