■2度のワールドカップに時代臭を感じる理由

「ペナルティーアーク」の正式誕生が1937年ということは、1930年の第1回ウルグアイ大会、1934年の第2回イタリア大会と、2回のワールドカップでは「ペナルティーアーク」はなかったことになる。モンテビデオのエスタジオ・センテナリオ、ローマのスタジオPNFの写真を見て、どこか時代臭を感じるのは、写真がモノクロであるためだけではない。「竜のひとみ」が描かれていなかったせいだ。当時の試合で「バイタルエリア」の攻防がどれだけ激しかったか、残された映像が極端に少ない現在となっては、知るよしもないが…。

 さて、では「ペナルティーアーク」の詳細に迫ってみよう。アークは、ペナルティースポットを中心とした半径9.15メートルの円の一部である。ちなみにペナルティースポットはゴールから11メートルの地点にあり、ゴールエリアのラインとペナルティーエリアのラインのちょうど中間点ということになる。

 ちなみに、をもうひとつ。センターサークルは半径9.15メートルの円で、ゴールラインとゴールエリアの交点に立ってピッチを縦に見ると、2つのゴールエリアを結ぶ線とセンターサークルの円はほぼ接する(メートル法でのピッチ規則では2センチセンターサークルが小さい)。試合前にレフェリーがピッチをチェックするときの重要な目安のひとつになっている。「ペナルティーアーク」の端は、この線より2メートル弱内側にあるはずである。

「ペナルティーアーク」の正式誕生が1937年ということは、1930年の第1回ウルグアイ大会、1934年の第2回イタリア大会と、2回のワールドカップでは「ペナルティーアーク」はなかったことになる。モンテビデオのエスタジオ・センテナリオ、ローマのスタジオPNFの写真を見て、どこか時代臭を感じるのは、写真がモノクロであるためだけではない。「竜のひとみ」が描かれていなかったせいだ。当時の試合で「バイタルエリア」の攻防がどれだけ激しかったか、残された映像が極端に少ない現在となっては、知るよしもないが…。

 さて、では「ペナルティーアーク」の詳細に迫ってみよう。アークは、ペナルティースポットを中心とした半径9.15メートルの円の一部である。ちなみにペナルティースポットはゴールから11メートルの地点にあり、ゴールエリアのラインとペナルティーエリアのラインのちょうど中間点ということになる。

 ちなみに、をもうひとつ。センターサークルは半径9.15メートルの円で、ゴールラインとゴールエリアの交点に立ってピッチを縦に見ると、2つのゴールエリアを結ぶ線とセンターサークルの円はほぼ接する(メートル法でのピッチ規則では2センチセンターサークルが小さい)。試合前にレフェリーがピッチをチェックするときの重要な目安のひとつになっている。「ペナルティーアーク」の端は、この線より2メートル弱内側にあるはずである。

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