サッカーは「お雇い外国人」が持ち込んだ【日本スタイルの源流はスコットランドにあり(1)】の画像
日本にサッカーを持ち込んだのは… 写真:サッカー批評WEB編集部

 サッカーを見ていると、表面上の現象だけではなく、その根底を知りたくなる。根底を知ると、歴史を学びたくなる。サッカーを追い続けるサッカージャーナリスト・後藤健生は、深く日本サッカーの源流を追っていく。

 古橋亨梧はワールドカップ予選の中国戦で負傷。所属のセルティックに戻ったものの、当面は欠場となる見込みだ。約1か月戦列を離れることになりそうだという。

 加入してすぐに結果を出して大いに期待を集めていただけに、アンジェ・ポステコグルー監督にとっても、セルティック・サポーターにとっても、そして何よりも古橋本人にとって残念な事態となった。

 日本代表も、10月の大事な連戦は古橋という重要な駒を欠いたまま戦うことになりそうだ。

 さて、前回はスコットランドのサッカーが、世界のサッカーの歴史の中で果たした重要な役割について書いた。つまり、グラスゴーのクイーンズパークFCが1866年のオフサイド・ルール改正を利用してパスをつないで攻める「パス・サッカー」というものを“発明”し、それがスコットランドのサッカー・スタイルとして定着し、世界各国に大きな影響を与えたのだ(その一例としてアルゼンチンのロサリオのサッカーの歴史を紹介した)。

 そして、日本のサッカーも、驚くべきことになんとその黎明期からスコットランドと接点があったのだ。

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