■「競技開始」は1873年か
ダグラス中佐はそれまで座学が中心だったカリキュラムを改めて、日本人学生(海軍の幹部候補生)たちに体育教育を課した。そして、体操やボートなどとともにクリケットやラウンダース、フットボールといったボールゲームも取り入れたのだった。レクリエーションにも、ビリヤードやボウリングを奨めたという。
ダグラス顧問団が教育を始めたのは1873年の秋だった。当時は「フットボールは冬のスポーツ」という意識が強かったから、日本人学生たちがフットボールをプレーしたのは1873年から翌年にかけての冬だったはずだ。
ただし、ダグラス中佐自身がフットボールを教えたわけではない。ダグラスはカナダのケベック州生まれのスコットランド系英国人で、14歳で海軍に入隊したいわゆる「たたき上げ」の軍人だった。少年時代、自然に囲まれたケベックではカヌーに乗ったり、キャンプをしたりという野外活動に明け暮れていたというから、英国本国出身者のようにフットボールに親しむ機会はあまりなかったかと思われる。
ダグラス顧問団のうちの誰かが体育教育を担当したのだろうが、それが誰かという情報はない。
一方、同じ1873年から74年にかけての冬、工部省工学寮でもフットボールが行われていた。工学寮(東大工学部の前身)は建築家を育てるために新政府が設立した学校だった。