■サッカーを伝えた「お雇い外国人」

 1863年にロンドンでフットボール協会(The Football Association=FA)が創設され、共通ルールが制定された。それが、「アソシエーション式フットボール」、つまりサッカーだった。

 ちょうど同じころ、日本は幕末維新の動乱期を迎えていた。徳川幕府は米国を皮切りに修好通商条約を締結し、1859年には横浜などを開港。横浜の居留地には外国人商人や軍人が居を構えるようになった。1867年には徳川慶喜が朝廷に対して大政を奉還。250年ほど続いた徳川幕府が瓦解し、薩長など西南雄藩を中心とした新政府が樹立された。

 新政府にとって急務だったのが日本の近代化だった。そのため、新政府は各国からさまざまな分野の専門家を招聘する。彼らを「お雇い外国人」と呼ぶが、ちょうどJリーグができてすぐに大勢やって来た外国人指導者たちのようなものだと思っていい。

 喫緊の課題は軍の近代化だった。徳川幕府の時代以来、江戸時代から国交がある海洋国家オランダの軍人が日本の海軍士官の教育を担っていたが、新政府は当時世界最強の海軍力を誇っていた英国から専門家を招聘することを決めた。東京の築地に設けた海軍兵学寮(後の海軍士官学校)での海軍将校の育成を任せることになったのだ。

 こうしてやって来たのが、アーチボルド・ルシウス・ダグラス少佐が率いる英国海軍の顧問団だった(ダグラスは、日本に着任してすぐに中佐に昇進したので、以下「中佐」と表記する)。

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