大住良之の「この世界のコーナーエリアから」連載第74回「古橋亨梧選手のために、セルティックについて知っておくべき8つの事柄」(2)1994年まで「背番号なし」伝統のフープス、名将の金言「Football without the fans is nothing」の画像
白と緑に塗り分けられたセルティックの本拠地・セルティック・パークの観客席(c)Y.Osumi
【画像】壮大なスタジアム、クラブ創設者ほかセルティックにまつわる写真
あの「ユール・ネバー・ウォーク・アローン」をヒットさせた、ジェリー&ザ・ペースメイカーズのヴォーカリスト、ジェリー・マースデンが今年の1月3日に亡くなった。78歳だった。この歌はリバプールFCのサポーターソングとして知られるが、スコットランドのセルティックFCの熱狂的サポーターたちは自分たちが先に歌ったと主張している。その名門クラブに移籍していきなり立て続けにゴールを挙げている古橋享梧は、このことを知っているだろうか。サッカージャーナリスト・大住良之による今回の超マニアックコラムは、古橋の背番号にちなんで、世界中のサッカーファンから一目置かれるグラスゴーの古豪についての8つのストーリー。
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■【その3 ザ・フープス】

クラブのトロフィールームには、100を超すタイトルのすべてが収められている。(c)Y.Osumi

・美しい白と緑の横じまシャツには118年の歴史

「ボーイズ」のほかに、セルティックは「フープス」というニックネームをもっている。もちろん、緑と白の横じまのユニホームが由来である。「フラフープ」という遊具があったが、「フープ」とは樽を締め付けるための円形の「たが」を意味している。

 セルティックが白緑縦じまのユニホームから「フープ」に変えたのが1903年というから、もう118年も前のことになる。そのときからパンツは白だったが、ストッキングは緑を使っており、白になったのが1965年。以後半世紀以上、この形は変わっていない。

 1967年に欧州チャンピオンズカップで優勝したとき、『サッカー・マガジン』でその写真が紹介され、私は初めて見るセルティックのユニホームに衝撃を受けた。白黒グラビアだったから色は想像するしかなかったが、非常に美しいという印象を受けたのだ。そして何より驚いたのは、このユニホームのシャツには背番号がなく、白いパンツの右サイドやや後ろに大きく番号がつけられていたことだった。1967年に背番号がないユニホームがあろうとは!

 スコットランドで背番号が一般化したのは第二次世界大戦後。1960年に義務化された。これ以前に、英国のプロサッカーではすべてのチームが背番号をつけてプレーし、セルティックだけが取り残されていた。義務化されたときにも、セルティックは「伝統のフープのデザインが壊れる」と抵抗し、パンツに番号を付けたのだ。

 欧州の大会では1975年にシャツの背中に番号を入れることが義務付けられたが、スコットランドの国内リーグではこの形が1994年まで認められていた。1994年以後、セルティックは背中に大きな白い布を貼り、そこに番号をつけたユニホームを着用している。

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