■なぜ欧州サッカー界はオリンピックに冷たいのか
日本のサッカー界にとって、オリンピックというのは歴史的に大変に重要な役割を果たしてきた。
日本で東京高等師範学校(東京高師)の蹴球部が本格的に強化に取り組み始めたのが1910年代。その東京高師が代表として参加した1917年の極東選手権大会(東京オリンピックのような総合競技大会)で中国に0対5、フィリピンに2対15と惨敗。1921年には大日本蹴球協会(現在の日本サッカー協会)が発足したが、当初の日本サッカー界の目標は極東大会で中国やフィリピンに勝つことだった。
そして、1927年に初めてフィリピンに勝利。1930年には東京で開催された大会で、ついに中国と3対3で引き分けて同率優勝を遂げる。
こうして、アジアでのトップの地位を獲得した日本サッカーは活躍の舞台を世界に求めた。
大日本蹴球協会は1929年にはFIFAに加盟していたので、1930年にウルグアイで開催された第1回ワールドカップにも参加資格があったのだが、当時の日本のサッカー界にとってワールドカップ挑戦は時期尚早だった。
目指したのがオリンピックだった。オリンピックに対しては、1920年代に入ると政府からの支援も得られるようになっており、選手団の渡航費などの全額をサッカー協会だけで負担する必要がなかったからだ。
だが、1932年のロサンゼルス大会では、サッカーはプロ問題のために開催されなかった。当時の(1970年代までの)オリンピックはアマチュアだけの大会で、プロが存在する競技では「プロ選手参加疑惑」が何度も起こっている。
サッカーでは古くからプロが存在していた。イングランドでプロ・リーグ(フットボール・リーグ)が始まったのは、第1回オリンピックより古い1888年のこと。1930年代にはヨーロッパの主要国でも事実上のプロ化が進む。
そのため、アマチュアだけの大会であるオリンピックにはトップ選手は参加できなかった。さらに、IOCがプロの参加を解禁した後もサッカーは23歳以下の選手だけの大会となったから、やはりトップ選手はオリンピックには参加できない。サッカー界でオリンピックに対する注目度が低い理由である。