■IOCに言ってはみたが
さて、オリンピックのアトランタ大会(といっても、日本男子の1次リーグ3試合はすべてフロリダ州(マイアミとオーランド)で行われたから、ジョージア州アトランタなどには一歩も足を踏み入れず、私はフロリダに向かった。そのかなり前には、国際オリンピック委員会(IOC)とFIFAの広報担当に対し、取材パスは求めないので、試合後のメディアセンター使用だけ許可してほしいという要望を出してあった。
新聞に記事を書く約束になっていたので、試合後すぐに原稿を書き、送らなければならなかった。当時はWi-Fiも普及していなかったし、モバイルで通信できる機器もなかった。記事はノート型のワープロ機で書いていた。それを新聞社に送るのは、ワープロに電話線をつなぎ、パソコン通信で送るという方法だった。スタジアムのメディアセンターなら簡単にできる。しかしそこにはいれなければ、ホテルに戻って書き、送るしかない。
FIFAからは「申し訳ないが、オリンピックには、試合日だけのメディアセンターのパスはない。また、取材パスを含めたオリンピックのセキュリティー関係はすべてIOCがやっており、FIFAは手を出すことができない」との返事がきた。IOCからは何の返答もなかった。試合前日にオレンジボウル隣接のメディアセンターまで行ってIOCの広報担当と交渉したが、にべもなく断られた。
1996年7月21日、「マイアミの奇跡」の日、タクシーでダウンタウンのホテルからオレンジボウル・スタジアムに向かった。人のよさそうなドライバーだったので、車を降ろされたところで、「20時半にここで待っていてくれ。そしてまたホテルまで連れていってほしい」と頼んだ。料金は、きたときの1.5倍支払うことを約束した。