大住良之の「この世界のコーナーエリアから」第66回「オリンピックの時間ですよ」(1) 1996年アトランタ五輪「もうひとつのマイアミの奇跡」の画像
1996年アトランタ大会。マイアミのオレンジボウル・スタジアムでは、日本対ブラジル戦の前日、B組のフランス対オーストラリア戦に先立って華やかなオープニングセレモニーも行われた。(c)Y.Osumi
【画像】96年アトランタから16年リオまでの五輪6大会
もし東京オリンピックで、日本代表が6試合を勝ち抜いて金メダルを獲得するとしたら、それを見届けるのは誰だろう。無観客開催でないのなら、抽選でゴールドチケットが当たった少人数の幸運な人たち。あとはIOCなどの大会関係者、スポンサー企業の人たち。そして、取材パスを手に入れた報道関係者だ。日本ではオリンピックの取材パスはほとんどが「運動記者クラブ」に配分される。サッカージャーナリストがそれを手にすることはまずない。できることならサッカー競技限定で、日本サッカーの当事者でもある信頼できるジャーナリストたちが、その瞬間に立ち会って取材できればいいのだが――。

■オリンピックの取材パスとは

 オリンピックはフリーランスのジャーナリストにとって鬼門だ。

 1996年にアトランタ・オリンピックの出場権を獲得したとき、私は即座に取材に行くことを決断した。だがマレーシアのクアラルンプールで行われた予選を突破し、実に28年ぶりのオリンピック出場が決まったのは3月末。オリンピックの取材パスの申請期限はとっくに過ぎている。いやそもそも、私のようなフリーランスのジャーナリストには、申請の可能性さえないのだ……。

 日本では、オリンピックの取材パスは新聞社や通信社、放送局で構成された「運動記者クラブ」がほぼ独占し、せいぜい雑誌協会に少数の枠が回されるだけ。その他のメディア、ましてフリーランスになど、1枚たりとも回らないシステムになっている。運動記者クラブの人に聞くと、日本に割り当てられた取材枠そのものが、加盟社からの総要望数より大幅に少ないのだという。

 幸いなことに、ワールドカップはまったく違う。日本サッカー協会(JFA)は、主催者の国際サッカー連盟(FIFA)から受けた割り当てのほぼ半数を運動記者クラブに回すが、残り半分はその他の出版社やサッカー専門雑誌にも配分する。そして私のようなフリーランスにも、かなりの数を確保してくれる。FIFAと激しい交渉をして世界のサッカー大国に匹敵する割り当て数を確保し、フリーランスにまで回してくれるJFAの広報に、私は足を向けて眠ることはできないのである。

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