■慶応はなぜ「ソッカー部」なのか
一方、東京の慶応大学では、「大日本蹴球協会」が誕生した1921年(大正10年)に「ソッカー部」が誕生している。余談ながら、早稲田大学サッカー部の正式名称は「ア式蹴球部」。「ア式」は、もちろん、「アソシエーション式」の略である。モダンな響きを好んだ慶大生とあくまで質実剛健を尊ぶ早大生。その違いは、サッカー部の名称にまで及んでいるのである。
さて、話は下って1976年、私は初めて英国に行く機会を得た。旅行会社とのタイアップ企画で『サッカー・マガジン』から記者ひとりを英国まで連れていってくれることになり、私が行くことになったのだ。「ダイヤモンド・サッカー」の岡野俊一郎さんの話などから、サッカーのことを「サッカー」という国は世界中にそう多くなく、単に「フットボール」と言うことが圧倒的に多いこと、英国でも同じであることは知っていた。しかし英国には『World Soccer』という有名な雑誌がある。「サッカーでも通じる」と、私は信じて疑わなかった。
「ふ~ん、日本の雑誌記者なんだ。それで何を取材にきたの?」
列車のなかで隣り合わせた人と話しているうちに、そう聞かれた。会話はこんなふうだった。
「サッカーです」
「えっ、何?」
「フットボールですよ」
「ああ、ソッカー!」
ジョークではない。「soccer」を「サッカー」と読むと信じて疑わなかった私は、大きなショックを受けた。サッカーの母国では「サッカー」では通じず、「ソッカー」と発音しなければならなかったのだ。言葉の成り立ちからすれば納得いくことではあるが……。ともかく、このとき突然、私は慶応大学の「ソッカー」部は、英国留学から帰った人が教えた発音に従ったものだったことを理解した。