■サッカーの革新を体現した天才プレーヤーの系譜

 革新的なサッカーで一世を風靡したチームというのは、時代を問わず、どれも皆そうした天才の存在に依存していた。

 1960年代後半から1970年代に「トータル・フットボール」で世界を席巻したアヤックスやオランダ代表には、ヨハン・クライフという天才が欠くことのできない存在だった。スペイン・ワールドカップのブラジル代表が素晴らしかったのは、いわゆる「黄金の4人」がいて、パウロ・ロベルト・ファルカンというファンタジスタをボランチとして起用するという贅沢ができたからだ。1980年代後半にアリゴ・サッキ監督がACミランでプレッシング・サッカーを展開して、その後、ファビオ・カペッロ時代までヨーロッパ・ナンバーワン・クラブでいられたのは、守備の天才的な統率者フランコ・バレージの存在を抜きにしては語れない。ワールドカップを制覇した1986年のカルロス・ビラルド監督のアルゼンチン代表だって、もしディエゴ・アルマンド・マラドーナがいなかったら、守備重視の「アンチ・フットボール」だとして世界から糾弾されていたかもしれない。

 クライフが監督として築き上げたバルセロナのサッカーを発展・継承して「ティキタカ」を完成できたのも、天才的MFだったグアルディオラがいて、グアルディオラの引退後はシャビやイニエスタがその伝統を継承したからだった。

 天才的な監督のアイディアや指導力が革新的なサッカーの数々を作ったようにも見えるが、それをピッチ上で実現できたのは、そうした革新的なプレーを実践できる天才プレーヤーたちがいたからにほかならないのだ。

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