スタジアムの大輪の華といえば、誰もがあこがれるあのキック。翼くんは小学生のときにマスターしたけれど、リアルの世界ではなかなかそうはいかない。それに恋焦がれて練習を重ね、もし習得することができたとしても、実際の試合で披露することなく引退の日を迎えるのが普通のサッカー人生というもの。そう、それがオーバーヘッドキックだ。
■欧州で最初のオーバーヘッド
1927年にチリの首都サンチャゴ市の名門クラブ、コロコロが中南米から欧州(ポルトガル、スペイン)にかけて半年以上にわたる大遠征を決行した。42戦して25勝4分け13敗という素晴らしい成績を残したのだが、その遠征チームのキャプテンでエースでもあったダビド・アレジャノという選手が「チレーナ」を得意とし、ポルトガルやスペインの観客を熱狂させたという。英国人船員を除けば、これが欧州の人びとがオーバーヘッドキックを見た最初ということになる。
ただ、コロコロは大きな悲劇にも襲われた。5月2日にスペインのマドリードで行われた試合でヘディングの競り合いで腹部を強打したアレジャノはそのまま退場、病院に運ばれたが、治療のかいもなく、翌日帰らぬ人となってしまったのだ。「コロコロ」というクラブ名はスペイン人の侵略に最後まで抵抗した南米チリ先住民の首長の名だが、その横顔を描いたクラブエンブレムの上部にある1本の黒い線は、24歳で亡くなったアレジャノを忘れないようにするためのものだという。
欧州の人びとがオーバーヘッドキックの威力と魅力をまざまざと知ったのは、1938年ワールドカップ・フランス大会だった。この大会で3位に躍進し、初めて世界に「サッカー王国」の名を知らしめたブラジルのエース、レオニダス・ダ・シルバのプレーによってだった。あのサンパウロのサッカー・ミュージアムの展示にあったように、オーバーヘッドキックはようやく「世界の技」となったのだ。ただ、この大会に参加していなかったイングランドの人びとがこのテクニックを実見するのは、イタリアのトリノでのわずか1シーズンのプレーからデニス・ローがマンチェスター・ユナイテッドに戻ってきた1962年夏以降のことだったという。
さて、いまでは世界中のサッカーで見ることができるオーバーヘッドキック。2002年ワールドカップでは、日本の初戦、埼玉スタジアムで戦ったベルギー戦で、ベルギーのマルク・ウィルモッツがこのキックで鮮やかな先制点を決めて日本サポーターの度肝を抜いた。もっとも、その後の日本の活躍、鈴木隆行の「つま先同点ゴール」と稲本潤一の逆転ゴールの熱狂で、すっかり影は薄くなってしまったが……。